京都嵯峨野、二尊院「九頭竜弁財天」~第二部

ヤマタノオロチ伝説

「いくつかしてほしいことがあります。まず八塩折之酒(やしおりのさけ)を八つの瓶(かめ)にいっぱい作ってください。」

この八塩折之酒とはどのような酒だろうか。

八塩折之酒の「八」は八百屋などと同じ使われ方で、たくさんとか多くをあらわす日本の聖数である。

「しお」は熟成もろみを搾った汁、「おり」は何度も折り返すという意味。

ゆえに八塩折之酒とは、いったん酒を造り、粕を取り除いた搾り汁(酒)にまた原料を入れ酒を造り、また粕を取り除きその搾り汁にさらに原料を入れ酒を造り、と何回も同じ工程を繰り返した強い酒である。

アシナヅチ・テナヅチは夜を徹してせっせと八塩折之酒を作った。

出来上がった八塩折之酒を前にスサノオはまた言った。

「八つの門を作り、それぞれに八塩折之酒を満たした瓶を置いてください。」

アシナヅチ・テナヅチは夜を徹して門を作り瓶を置いた。

 すると暗雲俄にかき曇り、雷鳴が轟き渡る激しい風雨の中から、ヤマタノオロチが現れた。茂みに身を潜めたスサノオが見ていると、ヤマタノオロチは八つの門にそれぞれ首を入れごくりごくりと喉を鳴らしながら酒を飲んでいる。

やおら、酒が効いてヤマタノオロチは身体を草の上にどうと投げ出すや酔いつぶれて眠ってしまった。

スサノオはすかさず腰から天羽々斬(あめのはばきり)という剣を抜いてヤマタノオロチを頭も胴体も尻尾もことごとく切り刻んだ。

最後に八本目の尾を切ろうと剣を振り下ろした時、ガツンという音がした。切れた尾の中で一本の剣が白銀に光っているではないか。

スサノオはその剣を取り出した。「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」という神の剣は、その後天照大御神(あまてらすおおみかみ)に献上されることになる。

ヤマタノオロチを退治したスサノオは、髪から櫛をはずしクシナダヒメを元の姿に戻した。

スサノオとクシナダヒメはアシナヅチ・テナヅチに別れを告げ、新夫婦が共に暮らす地を求めて旅たった。出雲の須賀の地(現在の須我神社とされる)に着いた。

スサノオは、眼前に広がる緑の大地と低くうねる丘とあおくはるかに霞む山々とすがすがしく吹き渡る風に生命の息吹を感じ、この土地を住まいの場と決めた。そうしてクシナダヒメの手を取りつつ、歌を一首詠んだ。

「八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(やえがき)妻籠(つまごい)に 八重垣作る その八重垣を」

日本和歌の起源とされるこの歌は、

<(ヤマタノオロチにずっと脅えていた美しいクシナダヒメを妻に迎え、これからは幸せに共に暮らそうと誓いながら)愛する妻を護るために幾重にも重なる垣根を作って御殿を建てた。幾重にも重なるあの雲を見ていると、天からも守られているように感じるものだ。>という意味であろう。

このヤマタノオロチ伝説については研究者の間で諸説がある。人々の生活を翻弄した暴れ大河の洪水・氾濫を象徴するのだとする説、遠くの国の侵略軍兵ではないかとする説、またこのヤマタノオロチ退治の場所が古代における製鉄の地であったことから、青銅から鉄という新たな文明の時代へと変遷を遂げていく中での新しい力の象徴とする説など、どれもまことに興味深い。

そしてヤマタノオロチ伝説は日本全国に広まっていきながらさまざまな地方の伝承を新たに生み出していく。

鎌倉中期に記された『阿裟縛抄諸寺略記』の中に西暦800年代中頃の話として九頭竜伝承が記されている。

昔、九頭竜という9つの頭と龍の尾を持つ鬼が戸隠山にいて、その鬼を学門という僧侶が祈祷で岩戸に閉じ込めた。その鬼は善神となり水神として人々を助けたという。

 一方の弁財天であるが、これはヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である。古くから財宝神であり当初弁才天であったものが財の字に変わって弁財天と称されることになった。弁財天は弁天様という愛称で日本では厚い信仰を集めている。

 この水神様の九頭竜と弁財天とが融合したとも思われる九頭竜弁財天。日本の歴史の大河を千数百年にも渡って泳ぎ続ける。

九頭竜弁財天に手を合わせ空を見上げた時、天に躍る九頭竜の銀鱗が陽に照り映えた気がした。(終)

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