京都・相国寺、「宗旦稲荷社」宗旦狐の伝説

相国寺の憎めない化け狐

 京都相国寺の鐘楼脇に立つ「宗旦稲荷社」には「宗旦狐」の興味深い伝説が残されている。宗旦とは千宗旦のことで、茶聖千利休の孫である。

 江戸時代の初め頃の話。相国寺のお茶会でお茶を点て終えて宗旦が帰って行くとその後しばらくして、再び宗旦が「いやはや、遅れまして申し訳ありません」と頭をかきかき汗をかきかき駆け込んできた。そんなことが一度ばかりか二度も三度も続いたものだから、不審に思った僧たちはある晩、本物の宗旦の居所を確かめた上で、茶会に現れた偽物の宗旦を問い詰めた。

 すると、「すんまへん。私はこの寺に住み着いている狐どす。もう二度としまへんさかいに、どうかかんにんしておくれやす」と、狐の姿に戻り、長い尻尾を振りながら逃げ去った。それから宗旦狐は、座禅を組んだり托鉢に行ったりして寺のために尽くすようになったそうな。ときおりうっかりして尻尾を出しているので僧たちが「宗旦さん、尻尾が出ておますえ」というと、顔を赤らめ尻尾を引っ込めた。

 ある年のお盆に、門前の豆腐屋がやりくりがつかなくなりすっかり弱っておった。豆腐屋は油揚げも商う。宗旦狐の気に入りの店だ。そこで宗旦狐、「旦那。これを売って足しにしとくれやす」と、どこで採ってきたのか、立派な蓮の葉をたあんと豆腐屋に手渡した。それを売って大豆を仕入れることができた豆腐屋はお礼にと、狐の好物であるネズミの天ぷらを宗旦狐にご馳走してやった。

 しかし、それを食べるや宗旦狐は神通力を失い化けていることができなくなって老ぎつねの姿をさらしてしまった。近所の犬達に追われた宗旦狐は相国寺の藪に逃げ込んだが、古井戸にはまって死んでしまったとさ。

 それを哀れんだ相国寺の者達は境内に宗旦稲荷の祠を立てて宗旦狐を祀ったという。

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