加賀 「山中温泉郷」

「ひなびた」から「魅力的」への変貌

山中温泉はその名の通りまさしく山の中にある。

 山代温泉からさらに数キロ、大聖寺川沿いに山に向かうと、川沿いのわずかな平地に南北に細長く温泉宿が立ち並ぶ。

刈安山・鞍掛山両山の山裾を流れる大聖寺川の渓谷はこの辺りがとみに美しい。

温泉街の南端の「こおろぎ橋」から北の黒谷橋までの渓谷は「鶴仙渓(かくせんけい)」と呼ばれ、風光明媚な景勝地だ。

俳聖松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅の道すがら、この山中温泉に滞在した。

風呂嫌いで有名だった芭蕉がこの山中を大層気に入り、8泊もの長きにわたって逗留。

草津、有馬と並んでこの山中を「扶桑三の名湯」と大絶賛したのである。

温泉の泉質は硫酸塩泉でとろとろの美人湯だ。

山間の閑静な湯治温泉地であったが、昭和6年の春五月、大火事がこの温泉地を襲う。

北陸の春といえばフェーン現象の温かい南風が吹く。

その風にもあおられ街の七割方を大火が舐めたのだ。

密集家屋に加え入り組んだ細い路地で消火もままならなかったという。

その後街は整備され近代温泉地へと変貌していく。

バブルがはじけて、全国的な温泉地ではかつてのような大型旅館・ホテルでは客のニーズを掴み切れずに集客できず、廃業・倒産して行く斜陽の時期、山中温泉の人たちは新たな企画に打って出た。

 共同浴場「菊の湯」から「こおろぎ橋」に至る国道364号の途中の数百メートルの道路幅を大きく拡幅し、あわせて全店舗を再構築と大改修するという街起こしの大投資を行ったのだ。

彼らには、

「このまま昔ながらの温泉地として客が来るのを待っているだけでは、山中の魅力を伝えきれない。」

というビジネスとしての危機意識があった。

時代の刻々とした移り変わりは世相となりその時代の人々の生活や考え方に反映されていく。

となれば、そのような人々をお客様として迎える以上、こちらも変化しなければならない。

薄汚れた旅館の外壁はきれいに張り替えられた。

建物の外観デザインも山中のイメージに統一された和風に。

舗道もタイル調へと敷きなおされ、通りは一変。

温泉情緒ある街並みに見事大変貌したのだ。

以来此処は「ゆげ街道」と呼ばれている。

以前は娘娘饅頭店しかなかったのが山中塗りを始め買い物が楽しめる商店が集まり、温泉客との融合活性化を図った企画は大当たり!

2003年に完成したこの「ゆげ街道」は、いしかわ景観大賞、2004年、都市景観大賞で国土交通大臣表彰を受けるまでに評価されたのである。

全国からの視察団は今や引きも切らない。

紅葉の盛りとあって山中温泉は、朝から鶴仙渓もゆげ街道も行楽客で大賑わいである。

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